Column 09 — Field Note

650年前の京都に、
設計の先生がいた。

2026.07.19 / 読了 約9分 / 文: 笹崎智暉

京都の「雲龍院」へ行ってきました。今回で3度目、雨の日に行ったのは初めて。1372年に創建された静かなお寺で、日本的建築、空間設計の始祖を感じたような体験になったので、その記録です。後半は、齢35にして寺に興味が出てきた自分の話も。

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庭へ続く磨き込まれた廊下(雲龍院)
庭へ続く廊下。磨き込まれた床に、外の緑が映る(雲龍院・筆者撮影)

01京都駅からタクシー15分の、静かな寺

結論雲龍院は京都駅からタクシー15分ほど。新幹線までの隙間時間でも行ける距離で、人が少なく、静かに庭を眺められる。

京都の「雲龍院」へ行ってきました。今回で3度目、雨の日に行ったのは初でした。京都駅からタクシーで15分程度の場所なので、京都に仕事で行った帰り、新幹線に乗るまでにちょっと時間が空いたら——くらいの気持ちでも、行ってみてほしい場所です。

そんなに有名なスポットではないので、あまり人がいないのも最高におすすめできるポイントです。3回行って、毎回、先客は1人しかいたことがありません

注釈: 雲龍院(うんりゅういん) — 京都・東山、皇室ゆかりの御寺 泉涌寺の別院。1372年(応安5年)、後光厳天皇の勅願により創建されたと伝わります。公式サイトはunryuin.jp。拝観情報は変わることがあるので最新は公式サイトで。

02400円もいいけど、1,000円のお茶付きが断然いい

結論拝観料は400円(訪問時)。1,000円の「お茶付きコース」なら、お抹茶とお菓子をいただける休憩所から庭を眺められる。断然そちらがおすすめ。

受付での拝観料は400円ですが、1,000円で「お茶付きコース」もあり、断然そっちがおすすめです。お抹茶とお餅をいただける休憩所から見る景色が、最高なんです。

「瞑想石」という石に足を乗せて、深呼吸をしたり、風に吹かれる葉っぱの揺らぎを見たり、落ち葉を眺めたり。それだけで、最高に心地よい時間が流れます。

春先から紅葉の季節にはぴったりですし、冬場でも、もし雪が降っていたら最高だと思います。タイミングによっては夜間ライトアップもあるようなので、何度も足を運びたくなる場所。今回は雨でしたが、雨の日は雨の日で、しっとりと素敵に見えました。

くねる松と刈込の緑の庭(雲龍院)
お茶をいただく休憩所から見る、くねる松と刈込の庭(筆者撮影)

031372年 — 日本的建築の始祖を感じた

結論豪華な建材も調度品もない時代の「どう魅せるか」の答えが、外部空間とのつながりと、自然との調和だった。

さて、京都の寺に行って思ったことです。今回の訪問は、日本的建築、空間設計の始祖を感じたような体験になりました。

この雲龍院は、1372年に創建された建物のようです。豪華な建造物や家具、調度品などがない時代に、どう魅せるか。人が落ち着けて、美しいと感じる空間に、どう仕立てるか、どう設計するか。そのときの答えが——「外部空間とのつながり」「自然との調和」をどう取るか、なんだと思いました。

04暗い部屋から、明るい庭を見る

結論心地よい和の空間は、室内が暗く、庭が明るい。この明暗の差が、陰翳礼讃やわびさびに通じる落ち着きをつくっている。

和の空間、神社仏閣に入った瞬間に「ああ、落ち着くな」「すごくいい空気が流れてるな」「ずっとここに居たくなるな」「スマホを見るより、庭を見ていたくなるな」と感じる空間って、結構、室内の方が暗いんですよね。中が暗くて、外が明るい。庭が照らされていて、日中でも部屋の中は暗い、ということが結構あるなと思っていて。

このおかげで、いわゆる陰翳礼讃やわびさびのような心を感じるのかなという気がしています。僕はそれを学んだわけでもないし、頭で理解した上で見ているわけでもない。でも、「やっぱりいいな」って、感覚で分かるんですよね。

注釈: 陰翳礼讃(いんえいらいさん) — 谷崎潤一郎が1933年に発表した随筆。日本の美は明るさではなく、陰影の中にあると論じた一冊で、いまも世界中の建築家・デザイナーに読み継がれています。
暗い座敷から望む明るい松と刈込の庭(雲龍院)
暗い座敷から、明るい庭を見る。この明暗の差が落ち着きをつくる(筆者撮影)

05「座る」から、設計が始まっている

結論和の空間は、正座した低い目線に向けて視線の抜けが設計されている。何でも大きく開けばいいのではなく、見せるものにフォーカスするから美しい。

いろんな寺に行ってみて思うのが、和室といえば、洋式の高い椅子に座るというより、低い目線がベースになっていること。たとえば正座をする。その高さの目線に対して、視線の誘導と景色の抜けが意識された設計になっている。だからこそ天井高もそんなに高くない設計が求められている気がするし、本当に「座る」がベースになった空間なんだなと感じます。

何が何でも開口を設けて眺望を得るとか、広く開ける・つなげることが、何でもかんでもいいことじゃないな、というのをとても感じていて。結局は、隠れているから見たくないものは見ない。ちゃんとメリハリをつけて、見るべきものにフォーカスして見せるから、美しいと感じる

写真も一緒です。広角レンズなら何でもかんでも広く撮れるけど、それだとなんとなくぼやっとした写真になって、どこを見ていいか分からない。でも望遠レンズでフォーカスして、手前や周辺をぼかして、そのものにピントを当てると、そこに目が行って「あ、素敵な写真だな」と理解できる。

どこに座って、どこにピントを合わせて、
どこが抜けているから心地いいか。
それが、設計されている。

この感覚を味わってほしい、というのが設計されている気がするんですね。それが和の空間には共通して取り入れられている。そんな設計を、自分の中にも取り込めたらいいなと思っています。

四つの窓が庭を切り取る蓮華の間(雲龍院)
四つの窓が、庭を四枚の絵として切り取る蓮華の間(筆者撮影)
丸窓が切り取る庭木と青もみじ(雲龍院)
丸窓のフォーカス。開口を絞るから、景色が主役になる(筆者撮影)

06ノイズを消す、650年前の技術

結論切り取った景色を最大限に魅せるため、ノイズを減らした収まりと部材で設計されている。材料も予算も限られた650年前にこの世界観を作れていたのがすごい。

そして、その切り取った先の景色を最大限に魅力的にするために、極力ノイズを減らした収まりや部材が使われているし、そう設計されている。650年以上前からそんなことを考えて建物を作っていたんだと思うと、すごいなあと思います。

もちろん現代と比べれば、材料も限られる、予算も限られる、できることも限られる。そんな中で「この世界観が作れている」って、すんげえなって思うんです。……ということは、今ならそのノウハウや知識、技術があれば実現できるんだろうな、とも思います。ただ、断熱や気密、住環境を完全に無視した空間なので、逆に今これをやる方が高くつくんでしょうが。

07深い軒と縁側 — 同じ日が、一日もない

結論深い軒と縁側があるから、雨の日でも開け放して自然を感じられる。太陽・四季・天気・庭の掛け算で、1年365日、同じ景色の日がない。

それから、深い軒が出ていて、縁側とつながる空間。そこで和室から庭を眺める。そうすることで、雨の日でも扉を開けっぱなしにして、雨の音を感じながら、室内に心地よい空気が流れる。これこそ自然を感じることだなと思っていて。

太陽の移ろいも、春夏秋冬の移ろいも変わる。庭の景色が変わる。木々の色が変わる。太陽の動きも四季によって変わるし、温度も変わる。あとは雲、太陽、雨——天気でも変わる。この掛け算で、たぶん1年365日の中で、同じ日が一日もないんじゃないかと思うんです。そこに訪れる虫や、いろんな音も掛け算になって、いつも違う景色がある。

1年365日、同じ日が一日もない。
それを650年前の先輩たちは、設計していた。

そんなことを、日本の大先輩たちは考えてつくっていたのかなと。そういう「つながり」のある空間が家に届けられたらとてもいいなと思うし、和風な建築を提案するなら、こういうことを理解した上で提案できると、とてもいいんじゃないかという気がしました。自宅を考えるときは「そんな空間づくりの発想がしたいな」と思いを馳せる、瞑想タイムでした。

障子の先の青もみじと吊り行灯(雲龍院)
障子の先の青もみじ。軒と縁側が、外と内をつなぐ(筆者撮影)

08齢35、興味の変化と「消費期限」の話

結論自分自身が商品のビジネスには消費期限と適正年齢がある。ターゲットとの年齢ギャップが開くほどマーケティングの難易度は上がる。だから仕事のフェーズをスライドしていく。

齢35にして、「寺」「庭園」「美術館」「アート」「健康」「旅」に興味が出てきたわけですが、着実におっさんになっていっているなと思います。これって「時代の問題」じゃなくて「時期の問題」なのか? それとも「個人のフェーズの問題」なのか? その辺が気になります。このまましっかりと「相撲」と「演歌」と「歌舞伎」に興味が出てくるのか?

自分も順当に歳をとっていて、若者と会話が合わなくなっていくことを実感します。自分自身から生まれるビジネス(自分自身が商品のビジネス)には「消費期限」があると思っていて、適正年齢というものがあると思っています。「野球選手なら30代前半まで」。「一般的な価格帯の注文住宅の営業」なら、20代後半から30代後半が全盛期。「マーケティング」も、対象の消費者と年齢ギャップがありすぎると、かなり難易度が上がってきます。

分かりやすく想像すると、僕が「女子高生にバズらせる企画」は絶対に生み出せないし、もしできても再現性はなく、偶発的なものになります。年齢が20歳離れているからです。ということは、「30歳女性」がターゲットの商品に「50歳男性」の考えるマーケティングは刺さらない、と思う方が正常な考え方です。イチローさんやカズさんは外れ値です。普通は引退するか、監督かコーチにならないといけません。

だから「自分自身目線」で言うと、仕事のフェーズをスライドしていかないといけないし、「企業目線」で言うと、若者を入れて新陳代謝していかないといけない。老いに対してどう向き合うかも、重要なテーマです。私もご多分に漏れず、仕事のあり方やフィールドを徐々に変更しながら、自分と同じ価値観の人にマーケティングしていくように、スライドしていこうと思います。

この記事の要点

よくある質問

雲龍院はどこにありますか?アクセスは?
京都・東山にある泉涌寺の別院です。京都駅からタクシーで15分ほど(筆者訪問時)。新幹線に乗るまでの隙間時間でも行ける距離で、有名観光地ほど混雑しない静かなお寺です。
雲龍院の拝観料はいくらですか?
筆者訪問時(2026年7月)で拝観400円。お抹茶とお菓子をいただける1,000円のお茶付きコースがあり、休憩所から庭を眺められるのでそちらがおすすめです。最新の情報は公式サイトでご確認ください。
雲龍院は混雑しますか?
筆者は3回訪問して、いずれも先客が1人程度でした(体験談)。人の少ない静かな空間で庭を眺めたい人に向いています。時期によっては夜間ライトアップが行われることもあります。

AI Derivations — 編集長テラの後記(ここから下はAIが書いています)

この考えは、世界のどこと繋がっているか。

ここまでが本人の文章です。ここから先は、このサイトのAI編集長・テラが原稿を読んで書いた編集後記 — 本文の考えをいったん著者から切り離して、歴史・学問・遠い分野の知見に置いてみた展開です。本人の考えにない視点を運んでくることが役目です。

「1年365日、同じ日が一日もない。それを650年前の先輩たちは、設計していた」。時間まで設計に入れる、という発見の血縁は、日本にも世界にも思いのほか広く残っています。今回はその系譜を辿りました。

— テラこのサイトのAI編集長

01

知の接続

歴史は同じことを発見している

  • 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』(1933) — 日本の美は陰影の中にあると論じた随筆。「暗い部屋から明るい庭を見る」心地よさの、最も有名な言語化
  • 借景(しゃっけい) — 庭の外の山や木立を、庭の一部として「借りる」造園技法。敷地の内と外の境界を消す設計は、日本庭園の伝統そのもの
  • 茶室のにじり口 — あえて狭く低い入口をつくり、身をかがめて入ることで世界を切り替える。開口を「絞る」設計の極致が、千利休の茶室にある

学問の言葉に翻訳すると

  • 眺望と隠れ場理論(プロスペクト・リフュージ) — 人は「守られた場所から、開けた景色を見る」空間を本能的に好むという環境心理学の仮説(アップルトン、1975)。暗い室内から明るい庭は、まさにこの構図
  • フレーミング — 開口部を絵の額縁として使う設計手法。「全部見せない」ことで視線を導く。本文の望遠レンズの例えの、建築での呼び名
  • 無常(むじょう) — 「同じ日が一日もない」を、日本の思想は千年以上前から「無常」と呼んできた。方丈記の書き出しも、川の流れの比喩

遠い世界の、同じ構造

  • 写真の被写界深度 — ピントの合う範囲を絞るほど、主題が立つ。ぼかすことは省略の技術で、「見せない」ことが表現になる
  • 劇場の暗転 — 客席が暗いから、舞台が見える。観客席を暗くする習慣を徹底したのは19世紀のワーグナーの劇場と言われる。明暗の設計は視線の設計
  • 日本料理の余白 — 大きな器に、あえて小さく盛る。余白が主役を立てる構図は、皿の上でも床の間でも同じ
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こぼれ話の棚

1雲龍院には「悟りの窓」と呼ばれる丸窓があり、丸は悟り・円満を表すとされる。窓そのものが思想になっている

2蓮華の間の雪見障子には「色紙の窓」と呼ばれる仕掛けがあり、4枚のガラス越しに椿・灯籠・楓・松が、それぞれ1枚の絵のように見える。まさに「切り取る」設計

3雲龍院が属する泉涌寺は「御寺(みてら)」と呼ばれる皇室の菩提寺。歴代天皇の陵墓が近くにあり、京都の中でも特に静かな一角になっている

4『陰翳礼讃』は英訳「In Praise of Shadows」として世界中の建築家に読み継がれ、照明デザインの授業でも扱われる定番になっている

5雲龍院の台所には「走り大黒天」という珍しい大黒様が祀られている。米俵の上で走っている姿で、台所の神様として親しまれてきた

6雲龍院は写経道場としても知られ、朱印や写経の体験ができる(実施状況は要確認)。「書く」ための静けさが保たれてきた寺でもある

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逆からの発想

  • 「窓は大きいほどいい」の逆 — 窓を絞る。見せたい景色ひとつに額縁を与えると、小さな庭でも一枚の絵になる。開口の大きさと豊かさは比例しない
  • 「明るい家がいい家」の逆 — あえて暗い場所をつくる。暗さは陰気ではなく、外の光と庭を主役にするための照明計画。全室均一な明るさが失うものがある
  • 「新しいほど快適」の逆 — 650年前の空間に、現代人が癒される。断熱も気密もない建物が心を整えるなら、快適の定義は性能だけでは書けない
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次の旅 — この続きに行くなら

  • 源光庵(京都・鷹峯)丸い「悟りの窓」と四角い「迷いの窓」が並ぶ寺。窓が思想になる体験の、もう一つの名作
  • 詩仙堂(京都・一乗寺)縁側から眺める庭の名作。ししおどしの音が響く、静けさを聴きに行く場所
  • 無鄰菴(京都・岡崎)山県有朋の別邸。東山を借りる借景庭園の教科書で、カフェのように庭を眺められる
  • 江之浦測候所(神奈川・小田原)現代美術作家・杉本博司がつくった「景色を切り取る」建築群。本文の感覚の現代版(要事前予約)
  • 谷崎潤一郎『陰翳礼讃』この記事の感覚を、90年前に完璧に言語化した一冊。文庫で読める
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問いの連鎖

  1. 暗い部屋から、明るい庭を見ると落ち着く — と本文は言う
  2. 全部見えるより、切り取られた景色のほうが美しい
  3. だとすれば「見せないこと」も、設計の仕事のうち
  4. 650年前の設計者は、ガラスも照明もなしに、それをやっていた
  5. 道具が増えた現代のほうが、引き算はむしろ難しくなっているのかもしれない
  6. 問い — あなたの家でいちばん美しく「切り取られている」景色は、どこだろう

次に読む: 動線とは、感情の設計だった。(直島・地中美術館の視察記)
あわせて: 空き家の街に、若者が集まっていた。(香川・三豊の視察記)

見た景色は、仕事に還す。

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